| 山名/標高 |
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| 登山日・天候 | 2006年1月8日(日)・晴 | |
| 行程 |
神上寺駐車場〜神上寺〜中宮分岐〜岩屋観音〜テレビ塔〜東峰山頂三角点〜(折り返し)〜神上寺駐車場神上寺から山頂までは約2.9km。 | |
華山は旧豊浦郡豊田町と菊川町(現在はともに下関市と合併)の境にそびえる山で、別名を「下山」、または「月山」「弥山」「大神山」とも呼ばれていた。山頂は東西2つに分かれ、二等三角点のある東峰はTVアンテナやレーダードームが立ち並び、車道も通じている。西峰は別名「伏拝の峰」ともいわれ、山頂に仲哀天皇殯葬(ひんそう=仮埋葬)所跡と伝えられる石の祠が祀られている。仲哀天皇(帯中津日子命=タラシナカツヒコノミコト)は日本武尊の第二皇子で、「日本書紀」によると、九州へ熊襲征伐の遠征中、筑紫で病に伏し崩御したとされている。一方「古事記」には、新羅討伐の神託を受け入れなかったため神の怒りを買い、急死したと記されている。仲哀天皇の殯葬所とされる場所は、華山のほか下関市長府の忌宮神社にも存在する。この天皇の后が三韓征伐で知られる神功皇后、皇子がのちの応神天皇。 古来から霊峰として信仰を集めた山で、景行天皇、仲哀天皇が熊襲征伐に際しこの山に登り、戦勝を祈願したとされる。山岳霊場として開かれたのは奈良時代といわれ、最盛期には3000余の寺院を従えた「西の高野」として権勢を誇った。東峰山頂の下にある「岩屋観音」(神上寺奥の院)は、大同元(806)年に空海が自然石の観音像を岩窟内に祀ったのがはじまりといわれている。 その後、鎌倉時代に後鳥羽上皇の勅願により愛染明王がまつられ、後醍醐天皇の頃、現在の中宮の位置にあった大御堂が下宮権現の位置に下ろされ「豊浦山神上寺」と改称、山の呼び名も「弥山」から「下山」に変わっていったという。 東峰への登山道は、中国自然歩道として整備されている神上寺(じんじょうじ)からのルートが一般的で、ほかに南麓の徳仙の滝からのルートもあるが、いずれにしても開発の進みすぎた東峰は、展望は良いものの頂上の風景には興ざめしてしまう。 開発の手を逃れた静かな西峰へは、菊川町の自然活用村から登山道が延びているほか、東峰からの縦走も可能。 | ||
神上寺参拝者駐車場から山門をくぐり、苔生した石段を上り本堂へ向かう。豊田町西市から寺の参道を含め、山頂から狗留尊山を経て川棚のクスの森までが中国自然歩道となっており、道は広く標識も整備されている。 ![]() |
駐車場の近くにいた犬が、人懐こそうに周りをうろうろ、脇道に入ったり戻ったりしながら一緒に石段を上りはじめた。近くの民家か、寺で飼われているものと思っていたこの犬は、本堂を過ぎてもなお一緒に登山を続けたい様子。ただし、登山道をまっすぐ歩くのではなく、森の中に駆け込んだきり姿が見えないと思っていたら後から追いかけてきたり、先に行ってしまったと思うと「早く来い」と言いたげに戻ってきたりとせわしない。 |
登山道は上るにつれて雪に覆われ、この日は(犬以外に)先行者もなかったが、広く切り開かれた道で迷う心配はなさそう。
森に入ったまましばらく姿の見えなかった犬が向こうの森の中からもう1匹の犬を追って飛び出してきた。追われていた犬は足音を響かせて山の斜面をそのまま駆け下りていく・・・ん?あれは犬じゃなくてイノシシか! |
山頂直下の岩屋観音まで来るとかなり積雪が増え、靴が埋まるくらいになった。犬は相変わらず元気に駆け回っている。
頂上はTV局のアンテナやハングライダーの滑走場などが並び、車道もここまで延びているが、雪に埋もれているので普段よりは見栄えがいい。また切り開かれているぶん展望は非常に良く、双眼鏡を持ってこなかったのが悔やまれた。 |
![]() NHKアンテナ塔からの眺め。長門山地から秋吉台、鳳翩山を経て瀬戸内海、その向こうの九州まで、約180度のパノラマが広がる。 |
山頂三角点は、TVアンテナ群から西へ数百m進んだレーダードームの先にある。そばに東屋があり、休憩するのによい。雪の上には誰も歩いた形跡がなく、犬とともにこの日の山頂一番乗りだった。ここからは西方向の展望が良い。 |
![]() 三角点からの眺め。京ヶ嶽の上の白い建造物はTVアンテナらしい。 |
下山しようと荷物をまとめているうち、例によって犬が先行して下りて行った。が、今度は後を追って下りても下りても犬の姿が見えない。「上り道の案内は終わったのでもう帰るよ」ということだろうか。
下山途中では3組のグループとすれ違ったが、再びついて上ってくる姿は見えず、駐車場に着いても待っていてはくれなかった。 |